チョコレートはどのように伝わり、変化してきたのでしょうか。 - チョコレートブログ|チョコ通販サロンドロワイヤル

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  • 2018.01.31

    チョコレートはどのように伝わり、変化してきたのでしょうか。

    板チョコの破片やトリュフ

    私たちの生活のなかで目にするものだけでもたくさんの種類があり、お菓子として定番のチョコレート。

    甘くておいしいものからほろ苦い大人の味まで、またカラフルで見ていて楽しくなるようなチョコレートもありますよね。

    そんな身近なチョコレートですが、意外とその歴史は知られておりません。

    今回はチョコレート好きならぜひ知っておきたい、神秘とロマンに溢れた“チョコレートの歴史”を紹介いたします。

    長い年月をかけ、チョコレートがどのように姿を変えてきたのか……。

    その歴史を知れば、チョコレートをさらにおいしく、楽しく食べられること間違いなしでございます。

     

    中南米から始まる歴史 人類とカカオの遭遇

    チョコレートの歴史をさかのぼると、現在のメキシコとその周辺に行き着きます。

    チョコレートと言えばヨーロッパのイメージが強いかもしれませんが、そもそもは中南米地域にそのルーツがあるのです。

    チョコレートの主原料であるカカオですが、その歴史は、中南米地域一帯を指す「メソアメリカ」という地域から始まります。

    20万年前にアフリカで誕生したと言われている現生人類が数万年をかけて移動し、約1万2000年前にメソアメリカに辿りついたと言われています。

    メソアメリカの熱帯雨林で生活するようになった人類が、そこに育つカカオの実“カカオポッド”を食べるようになりました。

    そのきっかけとは野性動物がカカオポッドを割り、中にあるカカオパルプと呼ばれる果肉を食べている事に目をつけたからだと言われています。

    人類はその白く甘酸っぱいカカオパルプを採取し、そのまま食べるかお酒に加工していたと言われています。

    一方でチョコレートの原料になるカカオの豆は強烈な渋みと苦みを持っていました。

    そのため、人類も野生生物たちもカカオの果肉の部分だけを食べ、カカオ豆は食べずに捨てていたと言われています。

    しかし偶然によるものか意図的によるものかは現在のところ判明しておりませんが、人類は発酵したカカオ豆を焙煎し、すり潰して“飲む”ことを発見したのです。

    このようにして、チョコレートの歴史はこの“飲むチョコレート”から始まりました。

    ちょうどこの時代にメソアメリカで栄えたマヤ文明のものと思われる、カカオの残滓が検出された壺が出土しています。

    メソアメリカからスペインへ

    メソアメリカの人類は長い間、焙炒したカカオ豆をすり潰し、水やトウモロコシなどを加えて食べていました。カカオは神秘的な力を持つと言われていたため、この飲むチョコレートは王族や貴族が楽しむための、当時のメソアメリカの人々にとって貴重な飲み物でした。

    アステカの皇帝モンテスマは1日50杯のチョコレート(ショコラトル)を飲んでいたようです。王族や貴族は、貴重なカカオを摂取することができたのです。

    まもなく、アステカはスペイン軍によって征服されますが、スペイン人のコルテスがこの征服に際して、アステカでチョコレートに出会いました。

    こうして、当時のアステカで飲まれていた、すりつぶしたカカオ豆にとうもろこしの粉やスパイスを加えた飲むチョコレートは、スペインに「珍奇な新大陸の飲み物」として持ちこまれました。

    ヨーロッパ各地へ

    スペインに持ち込まれたカカオは修道院の修道士の手によって砂糖とバニラをふんだんに使った、芳醇な香りがする甘い飲み物へとその形を変えていきました。

    スペインのフェリペ2世はポルトガルを併合した際、ポルトガル宮廷に宮廷ココア担当官を設けたと言われているほど、この魅惑の飲み物はスペイン宮廷の人々を虜にし、100年近くの間スペインから門外不出とされていました。

    しかし17世紀に、スペイン王女アンヌ・ドートリッシュとルイ13世の政略結婚や、アンヌの姪であるマリー・テレーズ・ドートリッシュとルイ14世との政略結婚を皮切りに、スペインからフランスへとカカオが伝わっていきました。

    アンヌもマリーも大のカカオ好きと言われており、彼女らの影響によってフタンス宮廷にバニラと砂糖がたっぷり入った飲むチョコレートが広がっていったと言われています。

    こうしてフランスを中心に、、イタリアやオーストリア、スイス、イギリスへもチョコレートが伝わり、歴史の糸はその数を増やし伸びていきました。

    17世紀ではヨーロッパ各国の宮廷や上流階級でしか楽しむことが出来なかった飲むチョコレートですが、18世紀頃に一般の市民にも普及していきました。

    飲むチョコレートが劇的進化!ココアの誕生

    一般の市民にも普及していった飲むチョコレートですが、その一方でコーヒーとお茶もヨーロッパに普及していきました。

    コーヒーやお茶は既に焙煎してある豆や茶葉に熱湯を注ぐだけで作れますが、これに対して飲むチョコレートは炒ったカカオ豆を粉々に砕き、すり潰してから熱湯を注ぐ必要がありました。

    カカオ豆の約55%はココアバターと呼ばれる油分なので、すり潰した状態で保存すると直ぐに凝固してしまいます。そのため、飲む直前にカカオ豆を粉々に砕き、すり潰すという作業をしなければなりませんでした。この作業は召使いを多く抱える富裕層ならともかく、一般の市民にとっては非常に骨が折れるものでした。

    手間なく作れるコーヒーやお茶の台頭によって、19世紀初頭まで一般市民の間では飲むチョコレートが次第に飲まれなくなっていきました。

    しかし19世紀前半、飲むチョコレートはその製法・味わいにおいて劇的な進化を遂げます。その進化の立役者がチョコレートの父と呼ばれているオランダ人のヴァン・ホーテン親子です。

    まず父親のカスパルス・ヴァン・ホーテンがカカオ豆からココアバターと呼ばれる油分を絞って取り除く技術を発明し、「ココアパウダー」が誕生します。

    ココアパウダーはコンパクトで保存や運搬に優れているだけでなく、油分が取り除かれているため水やミルクに溶けやすい性質を持っています。ココアパウダーの利便性はお茶やコーヒーとも遜色がないものでした。

    利便性の次はその味わいです。飲むチョコレートはカカオ豆を発酵させる際に強い酸味が鼻についてしまうため、コーヒーやお茶と比べて飲み辛いものでした。

    これを解決したのがカスパルス・ヴァン・ホーテンの息子のクンラート・ヴァン・ホーテンです。彼はカカオ豆の持つ強い酸味をアルカリ中和し、より飲みやすくマイルドな仕上がりにする処理法を開発しました。

    こうしてヴァン・ホーテン親子の発明により、飲むチョコレートはミルクや水に混ぜるだけで簡単に作れ、マイルドで飲みやすい「ココア」へと進化していきました。ココアはチョコレートと一般市民との距離を一層近づけました。

    ついに誕生!食べるチョコレート

    ココアの製造過程で取り除かれるカカオの油分“ココアバター”ですが、その余ったココアバターを有効利用することで食べるチョコレートが誕生しました。

    19世紀半ばには、イギリス人のジョセフ・フライが、カカオ豆をすり潰して砂糖を加え、そこへココアバターを加えるという試みから「食べるチョコレート」を発明します。

    ジョセフ・フライはココアバターの持つ約33℃で溶け、26℃前後で固まるという性質を活かし、すり潰されたカカオ豆、砂糖、ココアバターをバランス良く配合することで固形のチョコレートである「食べるチョコレート」を開発することに成功しました。

    次第に食べるチョコレートを様々な型を使用して固めるようになり、形にバリエーションを持たせ視覚でも楽しむ食べ物へと発展していきました。

    しかし、こうして作られた食べるチョコレートはまだ苦みが強く、万人受けする食べ物ではありませんでした。

    さらに食べやすく!ミルクチョコレートの誕生

    苦味の強い“食べるチョコレート”を食べやすくする発明が19世紀後半、スイスの蝋燭職人ダニエル・ピーターによってなされました。

    食べるチョコレートの苦味を抑えるためにココアと同様、液状のミルクをそのまま加えてしまうと、パリッとした状態ではなく、ドロドロとした状態のチョコレートが出来上がってしまいます。このようになってしまうのは、液状のミルクと油であるココアバターが混ざり合わないからです。

    この問題をダニエル・ピーターは良質なスイスのコンデンスミルクを使用する事で解決しました。

    彼は溶かしたチョコレートにコンデンスミルクを加え、長時間混ぜ合わせることで水分を蒸発させ、冷やす過程でココアバターの結晶の中にコンデンスミルクの成分を分散させる技術の開発を成功させました。

    こうして苦味の強かった食べるチョコレートから、よりマイルドな味わいの「ミルクチョコレート」が誕生しました。

    これはチョコレートの歴史のなかでも重要な変化で、チョコレートが甘くまろやかな魅惑の存在になるきっかけとなりました。

    チョコレート×日本

    ドライフルーツ入りなどカラフルなチョコレート

    チョコレートが日本に伝わったのは18世紀末頃とされます。日本初のチョコレートは、鎖国中、外国との交易窓口として機能していた長崎でお目見えしました。19世紀後半、日本でチョコレートの輸入や販売が始まります。

    歴史上、チョコレートの発展の大きな妨げになったのが、第2次世界大戦です。カカオ豆の輸入が止まり、チョコレート生産もストップしました。

    20世紀半ば、ようやくチョコレート生産が再開されます。そしてカカオ豆・ココアバターの輸入自由化を受けて、多様なチョコレート製品が現れます。

    現在の日本でのチョコレートの発展度合いについては、言うまでもないでしょう。

    今や、ナッツ入りやフルーツとの組み合わせなど、チョコレートの可能性は無限大です。ですが、これほど長期に渡る文化の移動や改良の歴史を経て、現在の多様性があるのです。

    さいごに

    神秘とロマンに溢れたチョコレートの歴史から、とりわけ大きな出来事をピックアップしてまとめました。

    自然と人々の営みの中から食べられるようになったカカオの実が、約1万2000年もの長い時間、多くの人々の工夫を経て姿や形を変化させることで、現在の“チョコレート”のかたちになりました。

    ぜひ、チョコレートを食べる際には、人々とカカオが辿ってきた神秘とロマンに溢れる道のりに想いを馳せてみてください。

    チョコレートの香り高く芳醇な味わいに歴史のスパイスを加え、より一層チョコレートの世界を楽しむことができることを願って筆を置かせていただきます。